御礼のご挨拶
まず何よりも最初に、この度、タイ国王室のGalayani Vadhana王女殿下の御逝去あそばされましたことに、深く哀悼の意を表します。
さて、Dhamma SocietyのChancellor、Maj. Suradhaj
Bunnag様はじめ、皆様方には、王女殿下のご大葬直後に、こうしてはるばる日本国のしかも名古屋までおいでいただき、今は亡き王女殿下の御名におい
て、新刊ローマ字版パーリ三蔵Mahāsaṅgīti Tipiṭaka Buddhavasse
2500 全40巻を贈与賜りますことは、誠に尊く、有難いことと厚く御礼申し上げます。
ここ日本におけるパーリ語研究は、19世紀末、高楠順次郎博士がイギリスに学び、東京大学で初めて講ぜられたのが最初であります。そのあと、長井真琴博士
や私の恩師水野弘元先生らがこれを継承発展させられました。それと同時に、駒沢大学、大正大学、大谷大学などの諸大学にも優れた学匠が輩出してひろく研究
が進められました。やがて日本全国の多くのパーリ学者が参加して、パーリ聖典の日本語訳として、1941年『南伝大蔵経』65巻70冊の完成を見たのであ
ります。
しかるに1945年、太平洋戦争のあと、日本は惨憺たる壊滅状態となりました。1947年、私は東京大学に入学し、すぐにパーリ語の学習をはじめました
が、研究室にはテキストも少なく、パーリ語の辞書も入手できませんでした。1960年、私は研究上の必要があって欧米からアジアにわたり、世界中にパーリ
語のテキストを求め、その収集を始めました。今では、私のライブラリーは、日本で最善のものとなっています。今回、タイ国の新しいローマ字版パーリ三蔵を
いただいて、その完璧を期することができましたことは、喜びこれに過ぐるものはありません。厚く御礼申し上げます。
ここで少し説明をお許しいただきたく存じます。
釈尊の時代(西暦紀元前6-5世紀)、インドの強国はマガダであり、釈尊はおそらく古代マガダ語を話されました。南方の上座仏教では、それがパーリ語と
なったと信ぜられています。パーリとは「聖典」という意味であり、パーリ語とは「聖典語」ということであります。ただ学問的には、仏教が東インドのマガダ
から西インドに伝わる中で、パーリ語が聖典用語となったと考えられます。紀元前3世紀、アショーカ王時代にパーリ仏教がインドからスリランカに伝わり、や
がてビルマ、タイ、カンボジア、ラオスなどに伝わりました。
ところで、釈尊入滅後まもなく、王舎城において五百人の比丘が集まり、第1回の聖典編纂会議、つまり大結集が行われます。それから数えて第6回目の大結集
が、1956年、仏紀2500年を記念して、ビルマのヤンゴンで開催されました。上座仏教を伝える国々から高僧智識がほとんどすべてと言えるほど集まり、
パーリ三蔵の口合わせをして聖典編纂が行われました。このときの成果は、ビルマ文字で出版刊行されました。第6回結集のビルマ版三蔵は、上座仏教として
は、きわめて権威ある聖典であります。しかし出版の直後、ビルマに政変が起こり、それ以上事業の発展ができなくなりました。
今回タイ国のローマ字版パーリ三蔵は、ビルマ版を定本としつつも、これまでに各国で出版されている18種に上る版本を比較検討したもので、50名のコン
ピュータ技術者を動員し、3年間にわたり、厳密な訂正を施したもので、タイ国の国威をかけた世紀の大事業であります。その責任に当たられたのが、本日ご来
席の Maj Suradhaj Bunnag氏をChancellorとするDhamma Societyであります。
他方、仏教は北西インドからシルクロードをわたり、中国・韓国・日本へ伝わり、北伝の仏教となります。釈尊以後、インドの仏教は部派に分かれ、釈尊時代の
原始仏教から部派仏教、大乗仏教、密教と展開し、12世紀末、仏教はいったんインドで滅亡いたします。現代インドの仏教は近代になって、スリランカから復
興ののろしを上げたものであります。大乗仏教の一部は、南方にも伝わりますが、南方仏教ではパーリ仏教の伝統を守り継いで来ました。
これに対し北方では、原始仏教や大乗の経典を多くはサンスクリット語で伝え、すべてが仏説とされ、大乗仏教がひろく発展することになります。釈尊の教えを
伝える原始仏教の聖典は、北方で漢訳されて『阿含経』(Agama-sutra)となりました。しかし大乗仏教が盛んとなり、大乗の仏典が次々と翻訳され
ました。日本の学者は、大乗の成立について精力的に研究してきましたが、まだよく分かっていない部分が多く、しかも大乗の経典は全体としてまとまりがあり
ません。パーリ三蔵は、経律論が整然としてまとまり、まさに釈尊の教えが良くまとめて伝えられていることが分かります。やはりパーリ聖典は、その成立から
見て、釈尊直伝の基本的な根本聖典であります。
日本の仏教は宗派仏教であり各宗の宗祖が崇められていて、釈尊が忘れられがちであります。しかし仏教にとって釈尊が開祖であることは、申すまでもありませ
ん。釈尊の右に出られる祖師はありません。私たちはそのことを再確認したいと思います。世界の仏教は、釈尊によって一つになれるのです。道元禅師も親鸞聖
人も、また日蓮聖人も、それには賛意を表せられると思います。
ここでまた、元に戻りたいと存じますが、私たちは、パーリ三蔵に接するとき、直接釈尊からの呼びかけを受ける心地がいたします。例えば、釈尊が弟子の比丘
らにお話をなさるとき、bhikkhave, bhikkhaveとよびかけられています。釈尊ご自信の口調が、そのまま残されているように思われます。
太平洋戦争の後、日本の経済の復興と共に、パーリ研究も盛んとなり、優れた諸学究による新しい翻訳が、次々と出版されるようになりました。その多くは、ロ
ンドンのパーリ聖典協会(PTS)本からの翻訳であります。最近では第6回結集ビルマ版からの新訳もまたかなり出版されました。近い将来、今回のタイ国
ローマ字新版からの研究や新訳もまた大いに期待せられるところであります。
今日、日本のパーリ研究は、経・律・論の三蔵から、歴史書、文法書、さらに注釈文献に進み、その研究や日本語訳も成果を上げております。私どもは近い将来
また注釈文献の贈与をお願いしたいと存じます。注釈文献を読むことによって始めて、パーリ三蔵の理解が正しく深くなると考えています。
従来、アジアの上座仏教国では、パーリ聖典をそれぞれの国の文字で出版してきました。それはその国にとっては当然のことであります。私は大学院でパーリ文
献のゼミを担当していたとき、院生に二年間に、タイ文字、ビルマ文字、スリランカ文字とインドのデーヴァナーガリーの四文字の自学自習を課し、前期、後期
の年2回のパーリ語読解の試験には、それらの文字で出題いたしました。院生にとっては、悩みの種でありました。しかしこれからは、タイ文字とスリランカ文
字の二種類くらいで済むことになるのではないかと思います。
今回のローマ字版パーリ三蔵のご出版は、アジア人の手になる初めての壮挙であり、世界の人々に釈尊の仏教を知らしめる大聖業であります。今後も日本の学問研究は、遅々とではありますが、着実に進むことと思います。
1988年、わが国でパーリ語を研究し、さらにひろく仏教文化に関心を有する研究者が相集まって、パーリ学仏教文化学会(Society for
the Study of Pali and Buddhist
Culture)を結成して、毎年学術大会を開催し、機関誌『パーリ学仏教文化学』(Journal of Pali and Buddhist
Culture)を発刊して参りました。現在では海外からの会員あわせておよそ220名、パーリ学を冠する日本唯一の学界であります。内閣府の管轄下で活
躍する日本学術会議(Science Council of
Japan)にも参加して参りました。特に海外の上座仏教に関心を持ち、多くの研究者との学術交流に尽力しております。
なお、学問研究と並んで、日本における最近の注目すべき動向は、生きた上座仏教が進展しつつあることであります。誠に感銘深く、注目しています。欧米の諸
国においては、キリスト教の世界にあって、すでに数多くの寺院や瞑想センターが各地で広く活躍しています。アジアではイスラムや社会主義との間に困難な状
況が生み出されています。私は仏教の研究に携わる者として、現代の状況に深い関心を寄せています。
仏教は釈尊を開祖とし、パーリ三蔵は釈尊の説法を直に聞く思いのする聖典であります。世界の仏教は、源をそこに発して、世界に展開しています。いまや地球
規模の世界の危機が叫ばれている時、これを救うために仏教はどのような提案ができるでしょうか。五戒、八戒をはじめとする戒律や四諦八正道のような教法も
もちろん大切ではありますが、今私はここに次の4点をあげたいと存じます。
第一に、釈尊がその生涯において、まず自ら菩薩の道を歩み、座禅瞑想して開悟成道し、仏陀(Buddha)となり、さらに転じて如来
(Thathāgata)となって、世のため人のため、一切衆生の利益のための働きをなさったところに、仏教の開祖としての完成された聖なる御姿があるこ
と。そしてその生涯の最後に釈尊は完全なる涅槃、すなわち大般涅槃 にお入りになったこと、そこに最高究極の価値があると思います。。
第二に、現代の激しい競争社会の中にあって、釈尊の教えられたように、人誰もが己れに打ち勝つことが、真の「勝利者」(Jina)であることを認めること。
第三に、世界の人々がsustainable development(持続可能な発展)を合言葉にしている中にあって、釈尊がその三衣一鉢の生活で示されたように、人間の欲望を抑える「知足」(santuṭṭhi)の実践こそが人の道であることを認めること。
第四に、世界の最悪の事態は戦争でありますが、釈尊がその生涯で少なくとも二度戦争を抑止せんとしてStop the warと立ち向かわれた平和への努力に学ぶべきであり『法句経』第五偈にいうavera(恨みを捨てよ)の精神が必要であるということ。
以上の四点であります。
人類の運命共同体である宇宙船地球号が最悪の事態になっても、真の平和を貫くべきことを教えているのがパーリ聖典であると理解しています。すべての仏教徒は、一度は釈尊の説かれたパーリ聖典の原点に帰るべきであり、そこからまたさらに新しい仏教を発見すべきであります。
パーリ三蔵40巻は、まさに人類の至宝であります。遥々遠く日本の、しかも名古屋までお運びくださいましたご温情とご足労に対し、ここに重ねて甚深たる誠意を表したいと思います。
そして最後になりましたが、今回、泰国と日本との間にあって、ローマ字版パーリ三蔵の贈与に深く関与せられ、あらゆる犠牲を払い、名古屋のみならず、東京
や関西にわたり諸大学や研究機関等に、仲介の労を劣りくださいました日本テーラワーダ仏教協会の皆さま方、特に会長の小西淳一様の並々ならぬご尽力に心か
ら御礼を申し上げます。
仏紀2551年11月21日
パーリ学仏教文化学会会長
前田恵學
English Version
The World Tipiṭaka Presentation Ceremony
Aichi Kakuin University, Nagoya, Japan
21 November B.E. 2551 (2008)

Acceptance Speech
First of all, I would like to express
my deepest sorrow about the demise of Her Royal Highness Princess
Galyani Vadhana Krom Luang Naradhiwas Rajanagarindra, Honorary
President the World Tipiṭaka Presentation to Leading International
Institutions Worldwide.
I am happy and honoured to welcome all of you who have kindly come here
to Nagoya, Japan, a place so far away just a few days after the
cremation of Her Royal Highness to present 40 volumes of the latest
Pāḷi edition of the World Tipiṭaka Council in the Roman Script, for
which I am sincerely grateful.
Introduction : Pāḷi & Buddhist Studies in Japan
The study of the Pāḷi Tipiṭaka in Japan around the end of the 19th
century started with the lecture by Professor Tagakusu Junjiro who had
studied in England. Subsequently Professor Nangai Magato and Master
Misuno Kogen, a teacher to whom I am greatly indebted, have developed
it. Several universities such as Komazawa, Taisho, and Otani
universities have produced quality personnel who have been doing
researches until many Pāḷi researchers from all over Japan have
collaborated and succeeded in translating the Pāḷi Tipiṭaka into
Japanese called “Nandendaiso Scripture” consisting of 65 volumes and 70
issues.
Later when World War II ended in 1945, Japan was in a ruinous and
pathetic state. I entered Tokyo University in 1947 and started to learn
Pāḷi immediately. There were very few documents in the research room
and no Pāḷi dictionary could be found. In 1960 I began to search for
Pāḷi documents from all over the world and started to collect them
since then. At present my library is the best source in Japan. Now that
I have received the latest Pāḷi edition of the World Tipiṭaka Council
in the Roman Script from Thailand, my research room is complete and I
am elated. Thank you very much.
The Buddha & the Pāḷi Tipiṭaka
Now I would like to ask permission to clarify some points. At the time
when the Buddha was still alive (around 5-6 centuries before Christ) a
powerful Kingdom in India was Māgadha. The Buddha might have spoken the
ancient Māgadha language. Buddhist Theravāda Tradition in Southern
India believes that the language has changed to Pāḷi. The word “Pāḷi”
means “Scripture” but theoretically during the spread of Buddhasāsana
from Magadha in East India to West India it could be said that Pāḷi was
used as the language of the scripture three centuries before Christ. In
the reign Emperor Ashoka, Buddhasāsana and Pāḷi spread from India to
Sri Lanka and further on to Burma (present-day Myanmar), Cambodia, and
Laos.
Not long after the Buddha had attained Nibbāna, 500 enlightened monks
assembled at the holy cave. It was the first time that such a mass
assembly took place to revise the Tipiṭaka. The Sixth Great Tipiṭaka
Council in 1956 to commemorate the 2500th anniversary of the Buddhist
Era took place in Yangon, Burma. A great number of Buddhist monks came
from all the countries that have inherited Buddhist Theravāda
Tradition. They compiled the Scripture by reciting the Tipiṭaka in
unison. The outcome of that assemblage was the publishing of the Pāḷi
Tipiṭaka in the Burmese script and this sixth revision was held to be
the principal Scripture for Buddhist Theravāda Tradition. However, not
long after the publishing of the Tipiṭaka, Burma underwent political
changes so the project has not progressed since.
The World Tipiṭaka in Roman-Script Edition
The latest Pāḷi edition of the World Tipiṭaka Council in the Roman
Script from Thailand, even though based on the manuscript in the
Burmese script, has also been compared with more than 18 scriptures
published in various countries and analysed by over 50 technical
experts in computer engineering who spent three years revising and
editing it. It is Thailand’s gratifying and great project of the
century. The organisation assigned to undertake the project was the
M.L. Maniratana Bunnag Dhamma Society Fund under the Patronage of His
Holiness the Supreme Patriarch of Thailand, supervised by its
Chancellor, Major Suradhaj Bunnag, who has kindly joined today’s event.
From another approach, Buddhasāsana spread from the northwest of India
via the Silk Road into China, Korea, and Japan, and was known as the
Northern Buddhasāsana. Since the time of the Buddha, Buddhasāsana in
India had split into several sects. The tradition of Buddhasāsana
originated when the Buddha was alive had developed into Mahāyāna and
Vajarayāna sects of Buddhasāsana. At the end of the 12th century
Buddhasāsana disappeared from India. At present modern Buddhasāsana in
India has been restored via Sri Lanka. A part of Mahāyāna Sect has
spread southward, but the Southern Buddhasāsana has been propagated
through the conservation of the original Buddhasāsana in the Pāḷi
language.
As for the Northern Buddhasāsana, most of the Buddhist scriptures
belonging to traditional Mahāyāna Sect used Sanskrit as the language of
Dhamma. The original Buddhist Scripture conveying the teaching of the
Buddha had been translated into the northern Chinese script as “Agama
Sutra.” Since Mahāyāna Sect prospered a great deal, there had been
numerous translations of Mahāyāna scriptures. Japanese researchers have
always been seriously doing research on the birth and transmission of
Mahāyāna Sect. There are several parts that are still not well known
and all the Mahāyāna scriptures have not yet been assembled and summed
up. The Pāḷi Tipiṭaka has been clearly compiled so we know that it is
the authentic compilation of the Buddha’s teachings. Judging from the
birth of this Pāḷi Tipiṭaka, it can be concluded that it is the
principal scripture, the foundation derived from a direct transmission
from the Buddha.
Buddhasāsana in Japan is divided into sects, each of which has its own
founder. Thus, the Buddha is often forgotten. It is not necessary to
emphasise that the Buddha gave birth to Buddhasāsana. No leader of any
sect stands on his right-hand side. We should all reconsider this
point. All sects of Buddhasāsana in the world hold the Buddha to be the
most excellent, whether Dougenzenshi or Shinranshounin or
Nichirenshounin, would agree with this truth.
Buddhist Scriptural Studies in Japan
I would like to return to where I left off. When we listen to the Pāḷi
Tipiṭaka, we feel as if we were listening to the Buddha himself, for
example, when he was delivering Dhamma Discourse to his disciples he
would call them bhikkave, bhikkave. I think that this characteristic of the Buddha’s speech has been transmitted in the original without any adaptation.
After the Great East-Asian War Japan has re-established the country’s
economic conditions. At the same time the Pāḷi research has also
progressed, with valuable research works and many new translations
being published on a regular basis. Most of them were translated from
the books of Pali Text Socity in London. Later there were several
translations from the Burmese script of the Great International
Tipiṭaka Council (the Sixth Council in Burma). In the near future I
absolutely hope that there will also be researches on and translations
of this latest edition of the Great International Tipiṭaka Council in
the Roman Script -- “The World Edition” -- from Thailand.
At present, the Pāḷi research in Japan has taken the Suttantapiṭaka,
Vinayapiṭaka, and Dhammapiṭaka from the Tipiṭaka to be examined
together with historical documents, documents concerning grammar, and
relevant references. The research works and their Japanese translations
are regularly publicized. We think that we would be able to present
these references to you in the near future. I believe that reading the
reference will enable one to deeply and correctly understand the
Tipiṭaka from another perspective.
Pāḷi Studies in Various National Scripts
In general, each of the countries in Southeast Asia that adhere to
Buddhist Theravāda Tradition would publish the Pāḷi Scripture in their
own language, which is a normal practice for each country. When I was
teaching graduate students of Pāḷi, I made them do a research on four
types of scripts: Thai, Burmese, Sinhala of Sri Lanka, and Devanagari
of India on their own for two years. After that they had to take a Pāḷi
reading comprehension test twice a year or at the end of the first and
second terms. My exams consisted of all four types of scripts, which
was very depressing for the students. However, I think that from now on
only two types of scripts, Thai and Sinhala, should be enough.
The publishing of this latest Pāḷi edition of the World Tipiṭaka
Council in the Roman Script is the first of its kind accomplished by
Asians as a meritorious project to disseminate the Buddha’s words to be
known worldwide. I believe that Japan’s research, though a bit late,
must be continually developed.
In 1988 there was a Pāḷi research in our own country. Researchers
interested in Buddhist culture from all places assembled to found the
Society for the Study of Pāḷi and Buddhist Culture. Academic seminars
are organised annually and the society’s journal called the “Journal of
Pāḷi and Buddhist Culture” is regularly issued. At present there are
altogether 220 members including members from abroad. It is the only
academic society in Japan with expertise in Pāḷi that joins the Science
Council of Japan, an agency that organises activities under the Prime
Minister’s Office. The society has set its sights on doing activities
in the form of academic exchanges among a great number of researchers,
with special interest in the Buddhist Theravāda Tradition in foreign
countries.
Apart from academic research, the recent movement in Japan worth paying
attention to is that the dynamic Buddhist Theravāda Tradition is
continuously developing. I myself appreciate this movement and have
been observing it with interest. In countries in Europe which is the
world of Christianity, there are numerous temples, Dhamma and
meditation centres in operation. In Asia, Islam and socialism have
clashed, causing difficulty. As a participant in a research on
Buddhasāsana, I care very much about the present situation.
Buddhasāsana has the Buddha as the founder. The Tipiṭaka is a sacred
scripture that has directly transmitted the Buddha’s words.
Buddhasāsana in countries around the world has started from the same
point of origin and developed and spread worldwide, which at present
the world has reached a time of crisis. What can Buddhasāsana offer to
help rescue it from all perils? All the Dhammas concerning Morality
from the Five Precepts, the Eight Precepts, the Four Noble Truths, to
the Noble Eightfold Path are all very crucial. I would like to suggest
the following four issues for consideration.
1. According to the Life of the Buddha, He was born, walked by himself
on lotus blooms, meditated until he attained enlightenment and became
the Buddha. From that time on he had become the Tathāgata who taught to
render benefit to the world, human beings and non-human, the first and
foremost Teacher who had made Buddhasāsana complete.
2. In a competitive society such as the one at present, it should be
accepted that anyone who can win over himself should be considered a
true “Jina” or conqueror according to the Buddha’s teaching.
3. People in the world have unanimously talked about sustainable
development, but it should be accepted that man’s ability to repress
his defilements and cravings and adhere to Santuṭṭhi
or sufficiency is also a way leading to becoming a true human being
just like the Buddha’s way of leading his life with only the three
pieces of cloth and one begging bowl.
4. The worst situation in the world is waging war. We should accept the
highest merit of Nibbāna that in the Buddha’s lifetime there were at
least two times that he had learned from the effort to prevent war and
bring peace to the world.
These are the four issues that I would like to present.
Even though the Spaceship called Earth which shares the same fate as
all human beings should come to the worst, I believe that the thing
which can show the way to real happiness is the Pāḷi Scripture. All
Buddhists should trace their way back to the foundation of Dhamma in
the Pāḷi Scripture taught by the Buddha and search until they find
Buddhasāsana in a new perspective from that point.
The 40-volume Pāḷi Tipiṭaka is deemed as mankind’s truly invaluable
treasure. I would like to express my sincerest respect and thanks for
your goodwill and perseverance in bringing them to Nagoya, Japan, which
is such a faraway place.
Finally, I hope that the presentation of the latest Pāḷi edition of the
World Tipiṭaka in the Roman Script will create a firmer bond between
Thailand and Japan. I would like to thank representatives from the
Japan Theravāda Buddhist Association who have dedicated themselves to
coordinating with the city of Nagoya and the various institutions and
universities in Tokyo and Kansai District. My special thanks go to
President of the Japan Theravāda Buddhist Association, Mr. Junichi
Konishi, who has always been giving his support.
21 November 2008
Maeda Kegakku
President of the Society for the Study of Pāḷi and Buddhist Culture
パーリ学仏教文化学会会長
前田恵學
ภาคภาษาไทย
พิธีมอบพระไตรปิฎกเป็นพระธัมมทาน
แก่มหาวิทยาลัย Aichi Gakuin, เมืองนาโกย่า ประเทศญี่ปุ่น
วันที่ 21 พฤศจิกายน พ.ศ. 2551

คำกล่าวแสดงความขอบคุณ
อันดับแรก
ขอแสดงความเศร้าโศกเสียใจอย่างสุดซึ้งกับการเสด็จสู่สวรรคาลัยของสมเด็จพระ
เจ้าพี่นางเธอ เจ้าฟ้ากัลยาณิวัฒนา กรมหลวงนราธิวาสราชนครินทร์
องค์ประธานกิตติมศักดิ์การพระราชทานและประดิษฐานพระไตรปิฎกสากลในนานาประเทศ
ทั่วโลก
ข้าพเจ้ารู้สึกปลื้มปีติและเป็นเกียรติที่ได้มีโอกาสต้อนรับทุกท่าน
ที่กรุณาเดินทางมาเยือนถึงเมืองนาโกย่าประเทศญี่ปุ่นอันแสนไกลนี้
เพื่อมอบพระไตรปิฎกสากลอักษรโรมัน (พระไตรปิฎกมหาสังคายนาสากลนานาชาติ
พ.ศ.2500 (Mahāsaṅgīti Tipiṭaka Buddhavasse 2500) ฉบับล่าสุด จำนวน 40
เล่ม แม้ว่าจะเพิ่งผ่านพ้นจากพระราชพิธีพระราชทานเพลิงพระศพไปเพียงไม่นาน
ต้องขอขอบพระคุณเป็นอย่างยิ่ง
การศึกษาคัมภีร์ปาฬิในญี่ปุ่นช่วงหลังนี้ ประมาณปลายศตวรรษที่ 19
เริ่มเป็นครั้งแรกจากการบรรยายของศาสตราจารย์ทากาคุสุ จุนจิโร
ซึ่งได้เดินทางไปศึกษาในประเทศอังกฤษ หลังจากนั้นมีศาสตราจารย์นาไง
มาโกะโตะและ อ. มิสุโนะ โคเก็น
อาจารย์ผู้มีพระคุณต่อข้าพเจ้าก็ได้พัฒนาต่อมา ประกอบกับมหาวิทยาลัยต่างๆ
อาทิ มหาวิทยาลัยโคมาซาวา มหาวิทยาลัยไทโช มหาวิทยาลัยโอตานิ เป็นต้น
ได้ผลิตบุคคลากรที่มีคุณภาพซึ่งดำเนินการค้นคว้าวิจัยสืบเนื่องมา
จนในที่สุดนักวิจัยภาษาปาฬิมากมายจากทั่วประเทศญี่ปุ่นได้รวมตัวกัน
แปลคัมภีร์ปาฬิเป็นภาษาญี่ปุ่น ชื่อ “คัมภีร์ นันเด็นไดโซ เคียว”
สำเร็จเมื่อปี พ.ศ. 2484 (ค.ศ. 1941) เป็นจำนวน 65 เล่ม 70 ฉบับ
ต่อมาภายหลัง ในปี พ.ศ. 2488 (ค.ศ. 1945) หลังสงครามโลกครั้งที่สองยุติ
ญี่ปุ่นตกอยู่ในสภาพล่มสลายน่าสังเวช
ข้าพเจ้าได้เข้าศึกษาในมหาวิทยาลัยโตเกียว เมื่อปี พ.ศ. 2490 (ค.ศ.1947)
เริ่มเรียนรู้ด้านปาฬิในทันที ห้องวิจัยนั้นมีเอกสารน้อยมาก
อีกทั้งพจนานุกรมภาษาปาฬิก็ไม่สามารถหาได้ ปี พ.ศ. 2503 (ค.ศ. 1960)
ข้าพเจ้าได้เริ่มสืบค้นเอกสารภาษาปาฬิจากทั่วโลกและเริ่มสะสมตั้งแต่ตอนนั้น
ปัจจุบันห้องสมุดของข้าพเจ้าจึงเป็นแหล่งที่ดีที่สุดในประเทศญี่ปุ่น
ครั้งนี้ข้าพเจ้าได้รับพระไตรปิฎกสากล อักษรโรมัน ฉบับล่าสุดของประเทศไทย
ทำให้ห้องวิจัยมีความสมบูรณ์ได้ จึงรู้สึกปลื้มปิติอย่างหาที่เปรียบมิได้
ต้องขอขอบคุณเป็นอย่างสูง
(จากนี้ใคร่ขออนุญาตชี้แจงบางอย่างเล็กน้อย)
ในสมัยที่พระพุทธเจ้ายังมีพระชนม์ชีพอยู่ (ประมาณ 5-6 ศตวรรษก่อนคริสตกาล)
แคว้นหนึ่งที่เข้มแข็งในอินเดียคือแคว้นมคธ
พระพุทธองค์คงพูดเป็นภาษามคธโบราณ
พุทธศาสนาเถรวาททางตอนใต้นั้นเชื่อกันว่ามาจากภาษานั้นและต่อมาได้เปลี่ยน
เป็นภาษาปาฬิ “ปาฬิ” มีความหมายว่า “คัมภีร์” แต่ในทางทฤษฎีแล้ว
ในระหว่างการสืบทอดพุทธศาสนาจากแคว้นมคธในอินเดียตะวันออกสู่อินเดียตะวันตก
อาจกล่าวได้ว่าภาษาปาฬิได้ถูกนำมาเป็นภาษาในคัมภีร์ เมื่อ 3
ศตวรรษก่อนคริสตกาล ในสมัยพระเจ้าอโศก พุทธศาสนา
และภาษาปาฬิได้ถ่ายทอดจากอินเดียสู่ศรีลังกา จนแพร่ขยายมายังพม่า ไทย
กัมพูชา และลาว
แต่หลังจากพระพุทธองค์เสด็จดับขันธปรินิพพานได้ไม่นาน พระภิกษุจำนวน 500
รูปได้เดินทางมารวมกันที่ถ้ำสัตตบรรณคูหา
เป็นครั้งแรกที่มีการประชุมสังคายนาครั้งใหญ่ เพื่อตรวจชำระพระไตรปิฎก
นับจากครั้งนั้น การประชุมสังคายนาครั้งใหญ่อีกเป็นครั้งที่ 6 เมื่อปี
พ.ศ. 2499 (ค.ศ. 1956) เพื่อระลึกถึงวันครบรอบพุทธศักราชปีที่ 2500
จัดขึ้นที่เมืองย่างกุ้ง ประเทศพม่า
พระภิกษุสงฆ์อาวุโสจำนวนมากมายเดินทางมาร่วมชุมนุมจากทุกประเทศที่ได้รับสืบ
ทอดพุทธศาสนาเถรวาทก็ว่าได้
ได้เรียบเรียงคัมภีร์โดยสวดพระไตรปิฎกอย่างพร้อมเพรียงกัน
ผลงานในครั้งนั้นได้ตีพิมพ์เป็นพระไตรปิฎกปาฬิ
เป็นอักษรพม่าการตรวจชำระครั้งที่ 6 นี้
ถือเป็นคัมภีร์หลักสำหรับพุทธศาสนาเถรวาท แต่หลังจากตีพิมพ์ไม่นาน
ประเทศพม่ามีการเปลี่ยนแปลงทางการเมือง
โครงการจัดพิมพ์นี้จึงไม่คืบหน้าอีกตั้งแต่ครั้งนั้น
พระไตรปิฎกสากลอักษรโรมัน ฉบับล่าสุดของประเทศไทยชุดนี้
แม้ว่าจะนำต้นฉบับจากอักษรพม่ามาเป็นหลัก
แต่ก็ได้นำคัมภีร์อักษรของชาติต่างๆกว่า 18
ฉบับที่ได้มีการตีพิมพ์ในประเทศต่างๆ มาวิเคราะห์เปรียบเทียบ
ดำเนินการโดยผู้เชี่ยวชาญทางเทคนิคคอมพิวเตอร์กว่า 50 คน ใช้เวลา 3 ปี
ตรวจแก้ไขฐานข้อมูลการพิมพ์อย่างพิถีพิถัน
นับเป็นโครงการอันน่าภาคภูมิใจและยิ่งใหญ่แห่งศตวรรษของประเทศไทย
ผู้ที่ได้รับมอบหมายให้ดำเนินการคือ กองทุนสนทนาธัมม์นำสุข ท่านผู้หญิง
ม.ล. มณีรัตน์ บุนนาค ในพระสังฆราชูปถัมภ์สมเด็จพระญาณสังวร
สมเด็จพระสังฆราช สกลมหาสังฆปริณายก ซึ่งมีพันตรี สุรธัช บุนนาค เป็นนายก
ซึ่งได้กรุณามาร่วมงานวันนี้ด้วย
ในอีกด้านหนึ่ง พุทธศาสนาได้แพร่หลายจากตะวันตกเฉียงเหนือของอินเดีย
ผ่านเส้นทางสายไหม เข้าสู่ประเทศจีน เกาหลี และญี่ปุ่น
เป็นพุทธศาสนาเรียกกันว่าฝ่ายเหนือ หลังจากสมัยของพระพุทธองค์แล้ว
พุทธศาสนาในอินเดียก็กลายเป็นหลายนิกาย
จากพุทธศาสนาดั้งเดิมที่เกิดในสมัยของพระพุทธองค์ก็เปลี่ยนเป็นนิกายต่างๆ
นิกายมหายาน และนิกายวัชรยาน ต่อมาในช่วงปลายศตวรรษที่ 12
พุทธศาสนาได้สูญสลายไปจากประเทศอินเดียครั้งหนึ่ง
ปัจจุบันพุทธศาสนาในอินเดียเป็นสมัยใหม่ โดยฟื้นฟูขึ้นใหม่จากศรีลังกา
ส่วนหนึ่งของนิกายมหายานได้ถ่ายทอดไปยังทางใต้
แต่พุทธศาสนาทางใต้นั้นสืบทอดต่อมาโดยอนุรักษ์สืบทอดพุทธพจน์ดั้งเดิมที่
เป็นภาษาปาฬิไว้ตลอดมา
ส่วนพุทธศาสนาฝ่ายเหนือนั้น
พระคัมภีร์ส่วนใหญ่ของพุทธศาสนาและนิกายมหายานจะใช้ภาษาสันสกฤต
ในการบันทึกพุทธพจน์ทั้งสิ้น
ลัทธิมหายานได้พัฒนาและแพร่หลายอย่างกว้างขวาง
คัมภีร์พุทธศาสนาดั้งเดิมที่ถ่ายทอดคำสอนของพระพุทธเจ้าได้ถูกปริวรรตคือการ
สวดเสียงเป็นตัวอักษรจีนที่ทางเหนือ ด้วยชื่อว่า “Agama Sutra”
เนื่องจากนิกายมหายานได้รับความสนใจมาก
จึงมีการแปลคัมภีร์ทางมหายานออกมามากมาย
นักวิจัยชาวญี่ปุ่นค้นคว้าอย่างจริงจังในด้านการเกิดและสืบทอดของพุทธมหายาน
มาตลอด และยังมีหลายส่วนที่ยังไม่ทราบอย่างถ่องแท้
อีกทั้งยังไม่มีการรวบรวมคัมภีร์ทางมหายานทั้งหมดมาสรุปด้วย
พระไตรปิฎกภาษาปาฬินั้นได้ถูกเรียบเรียงไว้อย่างชัดเจน
ทำให้ทราบได้ว่าเป็นพระธัมม์คำสอนของพระพุทธองค์ที่ได้สรุปรวมรวมไว้อย่าง
แท้จริง หากพิจารณาจากการเกิดของคัมภีร์ปาฬิฉบับนี้แล้ว
น่าจะสรุปได้ว่าเป็นคัมภีร์หลักที่เป็นพื้นฐานของการถ่ายทอดโดยตรงจากพระ
สัมมาสัมพุทธเจ้า
พุทธศาสนาในประเทศญี่ปุ่นแบ่งเป็นนิกายต่างๆ แต่ละนิกายก็มีผู้ตั้งนิกาย
พระพุทธองค์จึงมักถูกลืมอยู่บ่อยครั้ง แต่ไม่จำเป็นต้องย้ำหรอกว่า
พระพุทธเจ้าทรงเป็นพระบรมศาสดาผู้ให้กำเนิดพุทธศาสนา
ไม่มีผู้นำนิกายใดที่ออกมาแสดงตนอยู่แม้ด้านขวาของพระองค์
พวกเราควรทบทวนเรื่องนี้ว่า พุทธศาสนาในโลก
ล้วนพระสัมมาสัมพุทธเจ้าเป็นเอกอยู่เพียงพระองค์เดียว ไม่ว่าจะ
Dougenzenshi หรือ Shinranshounin หรือ Nichirenshounin
ก็ย่อมเห็นด้วยกับข้อเท็จจริงนี้
ขอย้อนกลับไปที่เรื่องเดิมอีกครั้ง เมื่อพวกเราได้สดับพระไตรปิฎกภาษาปาฬิ
เราจะรู้สึกราวกับได้รับฟังพระพุทธวาจาจากพระสัมมาสัมพุทธเจ้าโดยตรง
เช่นในตอนที่พระพุทธองค์ทรงเทศนาโปรดต่อพระภิกษุผู้เป็นศิษย์
จะทรงเรียกว่า “bhikkhave, bhikkhave”
ข้าพเจ้าคิดว่าลักษณะการรับสั่งของพระองค์ได้ถูกถ่ายทอดต่อมาดังเดิมโดยไม่
ได้ดัดแปลงแก้ไขแต่อย่างใด
หลังสงครามมหาเอเชียบูรพา ญี่ปุ่นได้มีการฟื้นฟูสภาพเศรษฐกิจ
ในขณะเดียวกัน การค้นคว้าวิจัยด้านภาษาปาฬิก็เจริญขึ้น
มีผลงานวิจัยที่มีคุณค่าและฉบับแปลใหม่ๆ
มากมายได้รับการตีพิมพ์อย่างสม่ำเสมอ
ส่วนใหญ่เป็นการแปลจากหนังสือของสมาคมบาลีปกรณ์ (Pali Text Society)
ในลอนดอน ระยะหลังมีการแปลใหม่จากฉบับชำระครั้งที่ 6
อักษรพม่าตีพิมพ์ออกมาหลายเล่ม ในอนาคตอันใกล้
ข้าพเจ้าหวังเป็นอย่างยิ่งว่าจะมีการวิจัยและแปลจากพระไตรปิฎกสากล
อักษรโรมัน ฉบับล่าสุดของประเทศไทยในครั้งนี้ด้วย
ปัจจุบัน การวิจัยด้านปาฬิในประเทศญี่ปุ่น ได้นำพระสุตตันตปิฎก
พระวินัยปิฎก และ พระอภิธัมมปิฎก จากพระไตรปิฎก
มาค้นคว้าร่วมกับเอกสารทางประวัติศาสตร์ เอกสารเกี่ยวกับไวยากรณ์
และเอกสารอ้างอิงต่างๆ ที่เกี่ยวข้อง
มีการเผยแพร่ผลงานวิจัยและฉบับแปลเป็นภาษาญี่ปุ่นอยู่เสมอ
พวกเราคิดว่าอยากมอบเอกสารอ้างอิงให้ท่านได้ในอนาคตอันใกล้นี้
ข้าพเจ้าคิดว่าการอ่านเอกสารอ้างอิงประกอบจะทำให้ได้เข้าใจพระไตรปิฎกปา
ฬิอย่างลึกซึ้งและถูกต้องในอีกมุมมองหนึ่งได้
โดยทั่วไป ประเทศที่นับถือพุทธศาสนาเถรวาทในเอเชีย
แต่ละประเทศจะตีพิมพ์คัมภีร์ปาฬิเป็นอักษรในภาษาของตนเอง
ซึ่งเป็นเรื่องปกติธรรมดาสำหรับแต่ละประเทศอยู่แล้ว
เมื่อครั้งที่ข้าพเจ้าสอนนักศึกษาระดับบัณฑิตศึกษาสาขาภาษาปาฬิ
ข้าพเจ้าให้นักศึกษาวิจัยอักษรสี่ประเภทคือ อักษรไทย อักษรพม่า
อักษรสิงหลของศรีลังกา และอักษรเทวนาครีของอินเดีย
ด้วยตนเองเป็นระยะเวลาสองปี
จากนั้นในการทำข้อสอบอ่านจับใจความภาษาปาฬิปีละสองครั้ง
หรือปลายภาคแรกและปลายภาคหลัง
ข้าพเจ้าได้ออกข้อสอบโดยใช้อักษรทั้งสี่ประเภท
ซึ่งนับเป็นเรื่องน่ากลุ้มใจสำหรับนักศึกษาเป็นอย่างมาก
แต่ข้าพเจ้าคิดว่าจากนี้ไป
หากใช้อักษรเพียงสองประเภทคืออักษรไทยและอักษรสิงหลของศรีลังกาก็น่าจะเพียง
พอแล้ว
การจัดพิมพ์พระไตรปิฎกสากลอักษรโรมัน ฉบับล่าสุดนี้
นับเป็นกิจกรรมที่สำเร็จด้วยมือของชาวเอเชียเป็นครั้งแรก
โครงการเปี่ยมกุศลยิ่งใหญ่ที่จะเผยแพร่พุทธศาสนาของสมเด็จพระสัมมาสัมพุทธ
เจ้าให้เป็นที่รู้จักกันกว้างขวางในโลก
ข้าพเจ้าคิดว่าต่อไปนี้การค้นคว้าวิจัยของญี่ปุ่น แม้ว่าจะล่าช้าอยู่บ้าง
แต่ก็ต้องพัฒนาสืบไปอย่างต่อเนื่อง
ปี พ.ศ. 2531 (ค.ศ. 1988) มีการค้นคว้าภาษาปาฬิในประเทศของเรา
นักวิจัยที่มีความสนใจในวัฒนธรรมทางพุทธศาสนาได้มาชุมนุมจากทั่วทุกแห่ง
ก่อตั้งสมาคมชื่อว่า“สมาคมวิจัยปาฬิและวัฒนธรรมพุทธศาสนา” (Society for
the study of Pali and Buddhist Culture) มีการจัดสัมมนาทางวิชาการทุกปี
และออกวารสารของสมาคมชื่อ “Journal of Pali and Buddhist Culture”
เป็นประจำเสมอมา ปัจจุบันมีสมาชิกรวมทั้งจากต่างประเทศด้วยรวมแล้ว 220 คน
เป็นสมาคมทางวิชาการแห่งเดียวในประเทศญี่ปุ่นที่เชี่ยวชาญด้านปาฬิ
เข้าร่วมในสภาวิชาการแห่งชาติ (Science Council of Japan)
ซึ่งเป็นหน่วยงานที่ดำเนินกิจกรรมต่างๆ ภายใต้สังกัดสำนักรัฐมนตรี สมาคมฯ
ได้มุ่งมั่นดำเนินกิจกรรมต่างๆ
ในการแลกเปลี่ยนทางวิชาการระหว่างนักวิจัยจำนวนมาก
ซึ่งมีความสนใจพุทธศาสนาเถรวาทในต่างประเทศเป็นพิเศษด้วย
นอกจากการค้นคว้าวิจัยทางวิชาการแล้ว
ความเคลื่อนไหวในญี่ปุ่นช่วงหลังนี้ที่น่าจับตามองคือ
พุทธศาสนาเถรวาทที่มีชีวิตชีวากำลังพัฒนาอยู่อย่างต่อเนื่อง
ข้าพเจ้าเองรู้สึกชื่นชมและเฝ้ามองอยู่ด้วยความสนใจ ในประเทศต่างๆ
ที่ยุโรปนั้น เป็นโลกแห่งศาสนาคริสต์
แต่ก็มีวัดและศูนย์ปฏิบัติธัมม์และสมาธิจำนวนมากดำเนินกิจกรรมอยู่อย่างแพร่
หลาย ในเอเชียนั้น
ศาสนาอิสลามกับระบอบสังคมนิยมได้ปะทะกันจนเกิดความลำบากอยู่
ข้าพเจ้าในฐานะผู้มีส่วนร่วมในการวิจัยด้านพุทธศาสนารู้สึกใส่ใจในสภาวะ
ปัจจุบันนี้อย่างยิ่ง
พุทธศาสนามีพระพุทธเจ้าเป็นพระบรมศาสดาผู้ประกาศพระธัมม์
พระไตรปิฎกปาฬิเป็นคัมภีร์อันศักดิ์สิทธิ์ที่ถ่ายทอดพระธัมม์คำสอนของพระ
พุทธองค์โดยตรง พุทธศาสนาในนานาประเทศทั่วโลกเริ่มจากจุดกำเนิดเดียวกัน
และพัฒนาแพร่หลายไปในโลก โลกปัจจุบันถึงกาลที่เรียกว่าเป็นวิกฤติ
พุทธศาสนาจะสามารถนำเสนอสิ่งใดเพื่อช่วยกอบกู้โลกจากภัยทั้งหลายไว้ให้ได้
หรือ ทั้งพุทธธัมม์เกี่ยวกับศีลธัมม์ ตั้งแต่ศีล 5 ศีล 8 หรือ อริยสัจ 4
มัคค์ 8 ล้วนมีความสำคัญ แต่ในที่นี้ข้าพเจ้าขอเสนอในสี่ประเด็นต่อไปนี้
1. ในพระพุทธประวัติ พระพุทธองค์ได้ถือกำเนิด เสด็จโดยพุทธดำเนินบนดอกบัว
เจริญสมาธิจนตรัสรู้เป็นพระสัมมาสัมพุทธเจ้า (Buddha)
จากนั้นจึงเป็นพระบรมศาสดาศากยมุนีพุทธเจ้า (Tathāgata)
สั่งสอนเพื่อประทานประโยชน์ต่อโลก ผู้คน และสัตว์ทั้งหลาย
นับทรงเป็นปฐมบรมศาสดาผู้ทำให้พุทธศาสนาสมบูรณ์แล้วนับตั้งแต่นั้น
2. ในสังคมที่เต็มไปด้วยการแข่งขันในปัจจุบันสมัย
ควรยอมรับว่าผู้ใดที่เอาชนะตนได้นับว่าเป็น “ผู้มีชัย” (Jina)
อย่างแท้จริง ตามคำสอนของพระพุทธเจ้า
3. ผู้คนในโลกต่างกล่าวขานถึงการพัฒนาแบบยั่งยืนเป็นเสียงเดียวกัน
แต่ควรยอมรับว่า การที่มนุษย์สามารถระงับกิเลสความต้องการ และ
“รู้จักพอเพียง” (Santuṭṭhi) เป็นวิถีแห่งการเป็นมนุษย์ที่แท้จริง
เหมือนเช่นการใช้ชีวิตโดยมีเพียงจีวรสามชิ้น และหนึ่งบาตรของพระพุทธเจ้า
4. สถานการณ์เลวร้ายที่สุดของโลกคือการทำสงคราม
ควรยอมรับถึงคุณค่าอันสูงสุดของการปรินิพพาน (Nibbāna)
ว่าในช่วงชีวิตของพระพุทธเจ้ามีอย่างน้อยสองครั้งที่พระองค์ได้เรียนรู้จาก
ความพยายามหยุดยั้งสงครามและนำโลกสู่สันติสุข
นี่คือ 4 ประเด็นที่ผมขอกล่าวไว้
แม้หากอวกาศยานที่ชื่อว่า“โลก”
ซึ่งเป็นผู้ร่วมชะตากรรมกับมนุษยชาติจะต้องมีอันเกิดสภาพเลวร้ายที่สุดแล้ว
ข้าพเจ้าเชื่อว่าสิ่งที่จะชี้นำไปสู่สันติสุขที่แท้จริงได้คือ คัมภีร์ปาฬิ
พุทธศาสนิกชนทั้งมวลควรเดินทางย้อนกลับสู่รากฐานของพระธัมม์ในคัมภีร์ปาฬิ
ที่พระพุทธเจ้าทรงสอนสั่งไว้
และควรค้นหาจนพบพุทธศาสนาในมุมมองใหม่จากจุดนั้น
พระไตรปิฎกปาฬิ 40 เล่ม
ถือเป็นทรัพย์สมบัติอันล้ำค่าของมนุษยชาติอย่างแท้จริง
ขอแสดงความนับถือและขอขอบคุณอย่างสุดซึ้ง
ที่ท่านได้กรุณาด้วยน้ำจิตและความบากบั่น อัญเชิญมาถึงเมืองนาโกย่า
ที่ญี่ปุ่นซึ่งเป็นแดนไกลถึงเพียงนี้
สุดท้ายนี้ หวังว่าการมอบพระไตรปิฎกสากล อักษรโรมัน
ฉบับล่าสุดเป็นพระธัมมทาน
จะก่อให้เกิดความสัมพันธ์อันแนบแน่นยิ่งขึ้นระหว่างไทยและญี่ปุ่น
ขอขอบพระคุณทุกท่านจากสมาคมพุทธศาสนาเถรวาทแห่งประเทศญี่ปุ่น
ซึ่งกรุณาเสียสละด้วยการประสานงานกับทั้งเมืองนาโกย่า
และสถาบันการศึกษาและมหาวิทยาลัยต่างๆ ในโตเกียวและเขตคันไซ
และขอขอบพระคุณโดยเฉพาะอย่างยิ่งท่านประธานฯ โคนิชิ จุนอิจิ
ผู้ให้การสนับสนุนด้วยดีเสมอมา
21 พฤศจิกายน พุทธศักราช 2551
มาเอะดะ เคกักคุ
ประธานสมาคมวิจัยวัฒนธรรมศาสนาพุทธและปาฬิศาสตร์